全編マダガスカルで撮影したロードムービー『ヴァタ~箱あるいは体~』より、亀井岳監督のオフィシャルインタビューが届いた。
高校時代からマダガスカルの音楽に魅せられてきた亀井岳。旅と音楽をテーマに、ドキュメンタリーとドラマを融合させるスタイルで映画を監督してきた亀井は、2014年、2作目の『ギターマダガスカル』を完成させるも、撮影時にマダガスカルの南部で偶然出会った、遺骨を入れた箱を長距離に渡り徒歩で運ぶ人々のことが忘れられず、初の全編劇映画となる監督3作目もマダガスカルで製作することを決意。音楽によって祖先と交わってきたマダガスカルの死生観を元に、家族を失った人々がその悲しみをどう乗り越えていくかという普遍的なテーマの映画を全編マダガスカルロケで、マダガスカル人のキャストのみで製作した。
本作制作のきっかけをお教えください。
ドキュメンタリードラマ『ギターマダガスカル』(2014)を制作中にマダガスカルの南部を移動している時に、あまり人がいないところを3〜4時間車で移動していたら、箱を持っている人が通っているのを見て、「何をしているんだ?」と聞いたら、「骨を運んでいる」と聞いて、すごく感銘を受けました。マダガスカルの人の骨や自分が生まれた土地を大切にするという死生観は日本人もわかると思うんです。“亡くなったらその遺骸を生まれ育った場所に持って来なくてはいけない”という考え方で、お金がある人は車で遺体・遺骸を運ぶんですけれど、お金がない人たちは、遠くで客死された方の肉をその土地で落として骨にして歩いて運ぶ。当時はそれを映画にしようとは思っていなかったんですが、何年かしてもそれが気になるので、マダガスカル南部まで行って、映画にしようと思いました。当時遭遇した骨を運んで歩いている人たちの映像は、『ギターマダガスカル』でマダガスカルで有名なミュージシャン・トミノが故郷の村に行って長老の前で1曲歌うシーンで回想として使っています。
脚本のインスピレーションはどこから得たのでしょうか?
1980年代後半からワールドミュージックがブームになりました。僕はその当時高校生・浪人生だったんですけれど、輸入レコード屋さんに行ってワールドミュージックのコンピレーションを買うと、好きな曲がことごとくマダガスカルの曲だったので、マダガスカルの音楽にハマっていきました。『ギターマダガスカル』で、「マダガスカルの音楽についてのドキュメンタリードラマを撮ろう」「行ってみたら何かが撮れるのではないか」と思ってマダガスカルに行ったんです。マダガスカルは、死生観が特殊で、誰に聞いても、「音楽は祖先と交流するためのツール」と言うんです。マダガスカルには独特の自然があって、人と人の生死がそのサイクルに入っている。それと音楽との関わりを感じるようになって、僕なりに解釈していきました。
主な登場人物に、主人公のタンテリと兄貴分のザカとスル、離れ小屋の親父、そして途中から旅に合流するレマニンジがいますが、タンテリも離れ小屋の親父もレマニンジも家族を失っているという設定で、家族を失った人の旅の話で、その悲しみとどう向き合っていくか、どう乗り越えていくかもテーマとしてありました。世間話のシーンなどディテールは、マダガスカルのスタッフや演者に「ここだったらどういう話をするか」と相談しながら撮っていきました。
現地の方に、「外国人が考えたストーリーとは思えないぐらい、俺らのことをきちんわかっている」と言われましたそうですね?
「ストーリーとしてよく考えている」「面白い」と言ってもらえました。
本作で描かれている“骨を持ち帰る際のルールを守ることで故人が祖先になる”というのは、マダガスカルの考え方なのでしょうか?
そこは、どちらかというと僕自身の創作です。
マダガスカルに映画産業はあるんですか?
今は首都のアンタナナリボに幾つか映画館があり、もっと昔は結構あったんですけれど、僕が行った時は映画館がなくて、“映画を映画館で観る”というカルチャーがなかったです。劇場用の長編映画を作るというクリエイターもそんなにいなかったです。今は機材が手に入りやすくなって、スマホでも撮れるようになったので、自分達で映画を作ってDVDに焼いて売っている人もいますが。『ギターマダガスカル』以降は何本かあると思いますが、『ギターマダガスカル』は恐らくマダガスカルで撮影された長編劇場映画の2本目だったと思います。1本目はフランス人監督の白黒映画でした。
マダガスカルで映画を撮影する際に難しかったことなどはありますか?
日本でも墓から骨を出して運ぶとなったら眉をひそめられると思いますが、骨を運ぶということは、マダガスカルでもセンシティブでデリケートなテーマで、自分達が何をしたいのかというのはどこに行っても説明をしました。
それぞれのキャスティング理由について教えてください。
レマニンジは『ギターマダガスカル』にも出てもらい、すごく好きなんで、最初から決めていました。タンテリの亡くなった姉・ニリナ役は比較的早く見つかったんですけれど、タンテリとザカとスル役は、色んなバンドを見ても決まらず、たまたまなんですが、最終的に『ギターマダガスカル』のトミノの一族の3人になりました。ザカとスルは『ギターマダガスカル』で皆が演奏するシーンにちらっと映っています。離れ小屋の親父役のサミーは、僕が二十歳くらいの時にすごく好きで聞いていたミュージシャン(バンド「タリカ・サミー」)なんです。30年くらい経って、あの時聞いていたサミーと一緒に映画を撮ったというのは本当に不思議な感じです。いい芝居ができるといったことではなく、普通の状態がいいと思った人をキャスティングしました。サミーだけ首都のアンタナナリボの人間で、他は現地の人です。
「楽器は箱 その中には記憶がある」というセリフが印象的ですが、そのセリフを思いついたきっかけなどはありますか?
本作のサブタイトルが『~箱あるいは体~』なんですが、本作のタイトルを決めるためにマダガスカルに関わっている日本人の友人と話している時に、『ヴァタ』は首都の標準語では箱という意味で、南部では体という意味もあるという話を聞き、そのままタイトルにしました。その言葉が頭に残っていて、ヴァタという言葉から、内容も発展したように思います。音楽とは何なのかというのを、監督した3作品通してずっと考えてきていたので、そういう自分自身の記憶と結びついていることもあります。
「音楽させあればいつでも」というセリフも、音楽が切っても切り離せないマダガスカルならではというように思いましたが、そのセリフを思いついたきっかけはありますか?
マダガスカルでは、田舎に行くと、医療や娯楽など物質的な豊かさはない中で、音楽は誰でも平等に楽しんでいます。皆音楽が大好きだし、自分達で楽器を作って演奏しています。マダガスカルにも、“演奏する人”と“聴く人”というコンサートもあるんですけれど、基本は“聴く側”と“演奏する側”と分かれていなくて、音楽は皆で共有するものという考え方があり、田舎の方でも楽しみ・娯楽の一つとしてあるというところからできたセリフです。
読者にメッセージをお願いします。
本作は暗い映画ではないんですけれど、永遠の別れをしなくてはいけない瞬間は必ず訪れるので、死に関してどう向き合うのかを音楽を通して共有し、前に進む力になったらいいなと思って作りました。
編集作業は小さい画面でするんですけれど、本作を試写やSKIPシティ国際Dシネマ映画祭の大きなスクリーンで観た時は、自分でも胸に来るものがありました。僕はもともと造形などアートから入っているので、本作を、映画という形のインスタレーションと思っているところもあります。本作は、マダガスカルの空間や音楽の持っている空間性・時間性を体験してもらうために作った作品なので、ぜひ映画館で観ていただければと思います。
8月3日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開